映画「銀魂2」から読み取れる幼少期の育て方の大切さ 悪役も被害者側?
こんにちは!しゅん( ´-ω-)です。
昨日はなんと大人気実写映画「銀魂2」を見てきました!
僕前作の映画も、漫画もあんまり読んだことありませんでした笑 けど友達とノリで見に行きました~
感想は「最高すぎる!」でしたね。小栗旬、菅田将暉、橋本環奈と言う豪華すぎるキャスト!そして、バラエティにとんだ面白いセリフの数々や迫力のある戦闘シーン、感動する人間関係ドラマ。などひとつの映画でこれだけの要素を盛り込んだ映画は、はっきり言うと初めて見ました!
で、一番印象に残ったのは、映画の悪役?のポジションの伊藤鴨太郎という登場人物。大学の心理学科で発達心理学を学ぶ僕としては、彼の幼少期を興味深く感じました。
伊藤がテストでいい成績をとっても、親は双子の兄の方の看病で忙しく、見向きもしません。そして、学校で伊藤がいじめられると、伊藤は自分の成績がまだまだなんだ、もっと頑張ろうと自分に言い聞かせています。とても心痛むシーンです。そして、親は双子の兄が身体が弱い事を伊藤にすべての能力を奪われてしまったせいだと伊藤の存在のせいと結論づけます。伊藤はこの言葉を聞いて泣いていました。
この幼少期の育てられ方が伊藤の人格を物語っています。
回想シーンで「なんで俺の実力を認めてくれる人はいないんだ。俺はこんなところにいる人間じゃない+俺はあんなやつの下で働いているような人間じゃない」とよく言っていますね。
この考えはあれですね。ダイレクトで幼少期の育てられ方の影響受けてるじゃないですか。親や周りが自分を認めてくれないのは自分の実力不足=人間は実力がすべてという考えになっていましたね。
新撰組の近藤の下で働くのは自分の価値に見合わないと言っていましたが、彼は実力だけを見れば近藤以上の逸材でしょう。でも実力以外の人間の絆、人と強い絆を結ぶ力と言うものを見ることを忘れていたんです。
それは、高杉に裏切られるまでは気づくことができなかったのですが、裏切られ死にそうになった所を近藤に助けられて、実力だけではない人間の強い絆に気付くことができました。
で、結局死んじゃうんですよ… これから読み取れることは、幼少期に植え付けられた固定観念や考えはよっぽどの事がない限り、上書きされないと言うことですね。
昔からつらい言いつけや、理不尽な固定観念を植え付けられた人は、よっぽどの事がない限り、死ぬまで苦しむか固定観念に縛られて生きてしまいます。
このようなつらい幼少期からの生い立ちを銀魂という映画で見ることができるとは、考えれませんでした。ほんと、製作する人は天才ですね。 そりゃ、売れますよね~
悪役ってみんなから恨まれ、嫌われる役ですよね。平気で人の命を奪ったり、簡単に味方を裏切ったり。まぁ、そんな性格も幼少期のつらい体験から形成されたものだと考えると、悪役も被害者だと言えますよね。